別にこのブログ、レビューするためのブログじゃないんだけど、立て続けに色々作品を観ているので、レビュー書いてしまいます。笑
ネタバレあり。

この前、大学の授業でスパイダーマンがとりあげられたので、興味で借りてみました。
まだちゃんと観たことがなかったんです。

ちゃんと、プロジェクターを使ってね☆大画面よかった!けど、疲れた。笑
感想としては…
まだ序章に過ぎない!って感じで終わりましたね。これからも続きます!という雰囲気満々。
けれど、退屈せずに観ました。
予想よりもアクションは少なかったけど、ビューンと飛ぶのは爽快だった。
善と悪がはっきり区別をしてなかったように思った。
スパイダーマンは蜘蛛にさされ、力を持つようになり、
ノーマン(敵役)は、薬の実験台になることで、力を持つようになった。
前者は、その力を良いことに使おうとし、後者は私利私欲に使おうとした。
ここまで観ると、明らかに後者が「悪」。
だけれど、ノーマンは、自分ではない他の何かに操られ、「悪」を行っているというものだった。彼は正気のときには、良いパパだった。しかし、会社や仕事のことになると悪の一面が出てくる。それが、薬の力によって暴走された。
スパイダーマンで、何回も出てくる言葉は「大きな力が伴う者は、大きな責任も伴う。」という言葉だった。
力自体に、「善」と「悪」は無く、その力をどう使いのかが重要であるということだろうか。
大学の授業では、スパイダーマンは「インターネット」を表象しているということを学んだ。
蜘蛛の巣=ネットである。
何か1つの物事とまた別の1つの物事が1直線につながれているわけではなく、他方から線がつながれ、それは大きな大きなネットとなっている。
スパイダーマンは、最初は一般人からヒーローとされるが、途中で悪だと見なされる部分がある、しかし、ヒロインたちを助けるシーンでは、一般人たちから助けを受けるシーンもある。
今までのヒーローモノでは珍しいシーンじゃないだろうか。
周りからの影響が、自分を作っている。
最後のシーンでは、主人公ピーターが、ヒロインから告白されるシーンがある。けれど、彼はそれを断るのだった。命をかけて愛したヒロインを。
それは彼の親友への思いが関係しているのだろう。
周りとのつながりが、彼の意思に影響をしている。
インターネットの普及により、一人の人が力を持てる時代になった。その分、さらに個人の責任が増すようになった。それを上手く使うことも、悪に使うこともその人次第だ。
SNSなどから、様々な情報が入り交じり、わたしたちは自分が思っているよりも容易に、他の人の意見を知り、頭の中で価値観を作ってしまう。
そこで、もう一度、問いかける。
「自分は一体誰なのか?」
スパイダーマンの続編を観たら、また深くなるのかな。観させるの上手いなーーー笑